親から子へと三世代の献血リレー

私がまだ幼稚園の頃でしょうか。父親が定期的に前橋の日赤病院で献血していたことを覚えています。私も一緒に行き、カルピスとか飲み物をたびたびもらっていたような気がします。
私が初めて献血したのは高校生のとき(1984年)
自分の通っていた高校に献血車が来たので勇気を出して献血しました。
父からは「お前も献血に行け」とか一切言われていませんでしたが、気が付いたら定期的に行くようになっていました。
前橋市に住んでいた頃は天川大島の献血ルームに通っていました。ここで初めて成分献血をしたような気がします。骨髄ドナー登録もしたと思います。
結婚して高崎市に住むようになると、高崎駅東口のイーストタワービル1F「高崎熱血ルーム」へ通いました。
岡山へ3年ほど単身赴任で行っていたときは、岡山市の「桃太郎献血ルーム」に通いました。
高崎に帰ってくると献血ルーム高崎駅内に移動していました。
献血には大きく分けて2種類あります。
①全血献血(手術時の輸血に使用)
 さらに2種の採血量200mlと400mlがあります。
 単純に血を抜き取るだけなので献血に要する時間は短時間で済みますが、人体に与えるダメージは大きいです。
成分献血(血液を成分採血装置を使い必要な成分だけを抽出し、抽出後の血液は体内に戻します。この工程を4サイクル程繰り返します。)
献血に要する時間は概ね1時間必要です。
成分献血はさらに2種類あります。
a.血小板(血友病の患者さんに投与する)
b.血漿(血液製剤の原料や研究に使われる)
成分献血は血小板か血漿以外の血液を再び体内に戻すため、全血献血よりはダメージが少ないです。
息子が二十歳で献血を始めました。
また、水泳の池江選手が白血病という報道を機に骨髄バンクへドナー登録しました。
私も長年骨髄ドナーでしたが54歳で引退です。いままで骨髄の型が一致したのは1回だけ。患者さんの都合でコーディネートは中止となり移植には至りませんでした。
昔の献血手帳を紛失してしまったり、結婚で姓が変わったりして回数のカウントが不明ですが200回は確実に越えています。
群馬でバッジを2個、表彰状1枚。

岡山でガラスの盃を1個頂きました。

息子が献血を始めたおかげで3世代目の献血リレーが始まり、骨髄ドナーのバトンタッチもできました。

日本赤十字ホームページ
http://www.jrc.or.jp/donation/